【西美濃の要衝】大垣城 (巨鹿城)【岐阜県大垣市】

戦国時代好きというか、戦好事家の趣味を持つ私は旅の途中でよく城跡をめぐります。
そのため割とマニアックな城跡を巡ることが多いのですが、せっかく大垣に滞在していたので大垣城に行った感想を書きます。

大垣城 〜岐阜県大垣市〜

大垣城

この大垣城は1600年、天下分け目の「関ヶ原の合戦」で西軍方(石田三成方)の拠点として機能したことで有名です。
しかし、実際には石田三成は入城したのち、

大垣城に守備兵として福原長堯以下7,500名を配置して主力を関ヶ原へ移動した。

その後天下分け目の大合戦「関ヶ原の戦い」が始まります。

大垣城の守備隊は西軍が敗走した後も東軍の包囲に対して立てこもって抵抗します。
激しい戦いの最中、山田去歴という城将が脱出した際に使われたと言われる「おあむ松」が城中にあります。
これは「おあむ物語」として地元の人々に語り継がれているようです。

大垣城公園は地元の方々に愛されているのを感じました。
いわゆる地域猫が公園内にいます。ご高齢者の方々の癒やしであるとともに、訪れた人々をおもてなす賢い猫達がおります。まさに招き猫!

白猫ならぬ城猫
後ろ姿が神々しいシロちゃん



「西美濃の要衝」となった所以を考える

1500年、戦国時代真っ只中に竹腰尚綱という方によって建てられた時はただの土塁と堀だけの砦のような城だった模様。その後、織田家、斎藤家、豊臣秀吉、石田三成らによって「西美濃の要衝」と評されるまでに改修がなされます。

江戸時代に入ると戸田氏が入り、天守などが造営されました。そのまま戸田氏は大垣の近辺の政治をしていたのでしょう。(個人的にこの戸田氏はよく分かっていない)

西美濃の要衝とされたのは中山道、東海道の交わる地点で、綺麗な水がたくさん取れたからではないかと私は個人的に推測しています。

そのため、水路を使った幾重にも並ぶ堀があり、更に大量の米が取れることから補給線としてもかなり重要視されたのではないでしょうか。

周囲の地形を観察してみても、これほど大きな平野は私も本州で初めて見ました。平な土地が広く、良質な水が取れるからこそ、米が大量に作りやすく、富国強兵化しやすい土地なのかもしれません。

大垣城周辺のみもの

  • 松尾芭蕉「おくのほそみち」結びの地

としても大垣は有名で、ところどころに俳句や短歌の石碑が立ち並びます。
また恐らく、城の外堀を利用して作られたであろう水路も水が綺麗で、小魚や鯉が泳いでいる他、野生の鵜やら鵜に似たようなカモ、マガモの集団、大きなサギなどが見られました。

とても「風情のある町並み」という印象が強いです。

他のみものは下の参考資料or「大垣 観光」で検索すると良いと思います。

他、城下町に抱いた感想

古き良き、風情ある町並みであることは確かなのですが、一本裏通りに入ると外灯が少なくて冬の夜はちょっと怖かったです。
「かつての昭和」を感じるような街居酒屋や、洋品店がマンションの1階に集中していることが多い印象でした。中にはもう何年も前に放置されてしまっているような軒先の店痕もあり、かつての賑わいを想像したりして楽しんでいました。
恐らく今後再開発が進み、こうした昭和の町並みも消えてしまうんだろうなーと思います。

すこしさびしいような、それでも風情がある旅愁を感じざるを得ませんでした。

しかし、こうした古き良き風情ある町並みを残そうという運動もあるはずなので、そうした人々の応援になってくれればと思います。

ちなみに大垣共立銀行は金融業界でもITを駆使した新進気鋭の地方銀行なので、ぜひとも応援したい。
移動式ATMなど新しい取り組みをやっています。(株買いたい!)



参考資料

大垣城 ~Wikipedia~
大垣城の戦い
大垣城の観光 – お城巡りFAN
山田去歴 〜Wikipedia〜

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