久里浜医療センターを強制退院、そして信濃病院へ

傷病日記

去る1月14日、僕は久里浜医療センターから強制退院となった。


久里浜強制退院

入院が2018年の12月13日で、約一ヶ月の入院生活となった。
ハイボールは僕にとって完全なるドラッグだった。
東6病棟に入って約一週間。

コンビニへの行き方を覚えてしまった僕は、悪魔の囁きに負けてハイボールを買った。
そして、そこで、ZenPad8(Androidタブレット)でYouTubeを見る、という入院前の飲酒スタイルを取ってしまった。

046から始まる久里浜医療センターからの電話で、僕は終わった。

「今どちらですか」
「コンビニです。飲んでます」

どうせ呼気検査でバれるので、堂々と答えた。

それから病院に戻り、僕の担当だった西村先生に「強制退院」を告げられた。

再びの連続飲酒状態へ

僕は荷物をまとめ、東京都世田谷区の自宅まで帰った。
東京の彼女はもちろんのこと、家族もがっかりさせてしまった。

その苦しみから逃れたいがためにまたハイボールを買い、家でダラダラYouTubeを見ながら飲む。

連続飲酒状態となった。

それから10日間、僕と、彼女と僕の家族の「どこに入院させるさせない」の悶着があり・・・。

最初は東京の井の頭病院に入院をしようとしたが、、、父が「東京から離れた場所へ入院せよ」と強く主張した。
それで僕の再入院先は、長野県東御市内の信濃病院に決まった。

そして信濃病院へ

1月23日に僕は実家のある山梨に帰宅。
そこでいろいろと悶着。僕がハイボールを買ってきては父がそれを見つけて捨てるという問答が2回繰り返された。
僕はもう、最後の酒が楽しみたいという一心だった。だが、それは家族を悲しませるということでもあった。

1月24日、朝にハイボール2本を決める。
父の運転で信濃病院へ向かった。道すがら、臭い臭い、と言われ続けた。

そしてようやっと信濃病院についたときには僕は酒臭さを醸していたらしく、先生の診察が終わるといきなり独房入り(医療保護室)となった。

父と一言話したかったが、それすらも許されなかった。

ただ、こんなボロボロの僕をここまで運んできていろいろ準備してくれた父に感謝、感謝、感謝である。


信濃病院の医療保護室は怖かった

四畳半の個室に和式便器が一個。
モノの差し入れ口が2箇所。完全なる独房だった。
スマホも没収となった。完全に外界から情報を遮断された。

とにかく怖かった。
アルコールの離脱症状もあり、手足は震え、ろれつも回らない状態。

全然知らない、長野県の東御の場所であるという心細さと、彼女とも友人とも連絡が取れないこと心細さ。

僕は震えて過ごした。

独房では1時間に1本のタバコが許された。それだけが救いに思えた。

1時間経ったかな??というタイミングでナースコールを押すと、看護師さんがやってくる。
差し入れ口から一本のタバコと灰皿を渡してきて、ライターで火をつけてくれるのである。

その後の1時間、タバコが楽しみというくらいになーーーーーーにもない。

翌日、待ちわびた井上先生(なんと、信濃病院で唯一の常勤医師だそうだ)が来て、医療保護室入り解除となった。

医療保護室はスマホ持ち込み禁止なので画像はない。

喫煙所があることだけが救いの信濃病院

この信濃病院は、昨今の病院にしては珍しく、喫煙にゆるい
院内に喫煙所もあり、そこが患者達の憩いの場所でもある。

タバコが切れそうだいうことを看護師に伝えると、「外出許可が出ている者に買ってこさせるよ!」ということだった。

マジか(゚∀゚)

僕は財布に残った五千円札を渡してワンカートン買ってきてもらうことにした。
それを買ってきてくれたのが40歳のシミさん(仮名)である。シミさんありがとうございます。
シミさんがおそらく一番歳の近い入院患者さんだろう。

僕は医療観察室というところでこれから一週間を過ごすことになるらしい。
外出禁止、という制限が一週間つくらしい。

というわけで始まった、アル中入院生活第2章が幕を開けたのである。


コメント

  1. […] 前段までの内容はこちら […]

タイトルとURLをコピーしました