復元された戌立の石器時代住居

【長野県】戌立石器時代住居跡【東御市】

今回もまた近所の遺跡まで散歩してきたのでそのレポートを書きます。
いや、バレンタインの日に一体俺は何をしているんだろう、と後になって思っております。
今回は特に記事タイトルをどうしようか悩みました。

訪れてみたのは戌立石器時代住居跡。最初、「戌立」が読めなかったけど「いんだち」と発音するそうです。


戌立石器時代住居跡(いんだちせっきじだいじゅうきょあと)

復元された戌立の石器時代住居
復元された戌立の石器時代住居

外見から察するに、雪の降る地帯であることからちゃんと急な傾斜がついています。
国史跡となっており、案内の看板もちゃんとありました。
案内板によれば、、、

 この住居は縄文時代中期末(約四千年前)のもので、敷石部とをともなう住居跡である。昭和五年に敷石のある住居跡(柱穴、炉及び炭跡六か所)、獣骨片、土器類、磨製石斧、石鏃、石皿破片などが発掘された。
 三方が峰の南麓、南傾斜の扇状地の上部、標高七七〇mの地点に位置し、付近には伊勢の宮、寺ノ裏(ともに現在は小諸市分)のほか、広い範囲にわたって集落跡が確認されており、大集落跡であるとおもわれる。
 昭和八年文部省の指定史跡となり、昭和二十五年の文化財保護法制定後も史跡にしていされている。この地に建つ復元住居は、昭和六十三年度に建てられた。

(東御市教育委員会の案内看板より)

「石鏃」

という、読み方、意味の分からない文字があったので調べてみました。

石鏃 とは

石鏃とは「せきぞく」と読み、石などでできたやじりのことを言うそうです。
黒曜石でできていたり、普通の石を削って作られるものである。

石鏃(せきぞく)
これが石鏃(せきぞく)。画像はWikipediaより引用
復元された石器時代住居の中に入ってみた

復元住居の入り口
復元住居の入り口

身長165センチの僕がかがんで入れるくらいの入り口となっている。中央に炉(ろ)が見える。


内部の様子。大人3人くらいは暮らせたんじゃないかという広さ。頑張れば大人4人もいけるのかもしれない。
もしかしたら、大人二人に子供二人くらいの住居を復元したものなのかもしれない。

実際の住居は当然残っていないが、もしかしたらもっと大きな

戌立石器時代の復元住居の天井
復元住居の天井

天井の高さはだいたい2.5 ~ 3メートルくらい。炉で炊かれた煙が天井の中心、左右から出ていたのであろうと推測する。


復元住居の後ろには石碑が建ち、また、他の住居の敷石だったと思われる岩がゴロゴロしていた。


大集落があったということは・・・

大集落があったということは、それとも獲物であるシカなどの生息地帯であったのだろうか。
標高は770mもあるので、現在は冬になると結構寒い(長野県でもかなり寒い地方らしい)のだが、その約4000年前の縄文時代中期、ここら(東御市、小諸市)一帯が暖かったのだろうか?
その約3000年後の15世紀には城館がいくつも築かれていたことから、昔から人が集まりやすい暮らしやすい場所であったのかもしれない。それか、多くの米が取れる穀倉地帯だったのであろう。

またそのすぐ近くにも遺跡がある。
【長野県】国史跡 寺ノ裏石器時代住居跡【小諸市】

周囲の城館の記事は以下

その他にも信濃病院から1時間以内に行けない城跡がたくさん、この周囲にはあります。ぜひ巡ってみたい!!

アクセス

信濃病院からだと歩いて20分くらいだった。途中坂になり、また案内看板が茂みに隠れていたりして少し迷った。

これじゃ気づきづらいでしょう・・・。とツッコミを入れながらもテクテクと綺麗に舗装された緩やかな坂道を登っていく。
気温は0度だったが、厚着をして出かけたため汗をかきました。


道路の周囲には、土地の人たちのご先祖様の眠るお墓や、石垣が積まれていた。
この道をひたすら歩いた。手を合わせながら。

住所:長野県東御市滋野乙
最寄り駅:しなの鉄道 滋野駅 徒歩35分くらい

といったところだろうか。もっとも、ここまで電車と徒歩で訪れる人はそうそういないと思いますが。。。

以上、長野県東御市にある戌立石器時代住居跡を訪れてみたレポートでした。

参考にした資料


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