あの丘陵地帯が禰津支城跡

【長野県】禰津支城跡(ねつしじょうあと)【東御市】

今回はあまり、他の城跡紹介サイトでも取り上げられていない、禰津支城(ねつしじょう)を紹介します。
GoogleMapアプリで「城跡」と検索すると出てきます。


禰津支城(ねつしじょう)とは
あの丘陵地帯が禰津支城跡
あの丘陵地帯が禰津支城跡

禰津支城(ねつしじょう)跡は山城です。主に、ここの豪族であった禰津氏(滋野氏族海野氏の一族)の主城、信濃・禰津城を支えるための城として機能していたと考えられます。佐久往還を見張り、変事があれば狼煙をあげ、主城である禰津城に異変を伝える役割を担っていたのではないかと思われます。この根津支城は、支城なので、位置関係から推測するに禰津の本城の東側の監視用に使われていたのかもしれません。
そのほか、武田氏との戦いでも、武田信虎が佐久を侵攻した際にも防御用の城として兵士が詰めていたのではないかと推測します。
まあ結局1541年に禰津氏は武田氏の軍門に下るわけですが・・・。

実際に禰津支城跡に行ってみた

GoogleMapアプリによれば信濃病院から徒歩21分で行ける、とあり、山城登山を考えると1時間以内の外出ではギリギリかと思われた。
信濃病院から北方へMapアプリ片手に田畑広がる道をひたすら歩くこと20分。GoogleMapがナビを終了した。
そこから城跡を登ると傾斜30度はあろうかという山で、僕はひたすら登った。

禰津支城跡に登る途中の大岩
禰津支城跡に登る途中の大岩。苔が歳月を思わせる

ちゃんとColumbiaのデイパック用バックパックに水を準備していたのでそれを飲みつつ、木々の生い茂る斜面を登り続けること10分くらい。
斜面は落ち葉で滑りやすかったです。滑っては軍手をした手で木に捕まって、それはもう必死に登りましたよ。


これくらいの25リッターくらい入るバックパック。愛用しています。

そしてやっと、、、、

禰津支城跡
山の上についたー。っていうか登山道あるやないかーい!!
と心の中で思いながら、その山の尾根を奥へ奥へと進むと、、、

禰津支城跡の空堀
なんと!!今回はちゃんと空堀の遺構が残っている。今まで行った城跡はほとんど皆遺構が見られなかったのに。
空堀を超えていくと、奥の方にあずまやが見えました。が、ここで時間の都合上諦めて、登山道を使って下山しました。

禰津支城跡の空堀
円形になるように、堀の跡が続いています。

禰津支城跡の空堀
禰津支城跡の空堀跡。結構明確に残っていて周囲を囲んでいる

下山ルートは結構なだらかですが、最後の方は急で滑りやすい地質なので注意が必要です。

禰津支城跡への登山道

この入院生活で初めてまともな戦国時代の遺構の残る山城で、個人的には見応えがありました。時間が許せばもっと調査してみたかったですが。
この根津支城跡から、佐久往還を一望できるので、ここに城を築いたのも納得できます。

禰津支城跡の前方付近
この通り、街道と奥の平地を一望できる。自分がもし仮に戦国武将だったとしても、ここは重要な拠点にしておきたいところです。


禰津氏(ねつ、ねづ、とも読む)とは

禰津氏は「ねつ」と読まれることが多いようです。
また、祢津氏、根津氏と、複数の漢字が用いられるようです。

Wikipediaによれば

信濃国小県郡禰津(現長野県東御市祢津周辺)を本貫地とした武家の氏族。「禰津」の記載が一番多いが、現代では「根津」「祢津」の苗字が一番多い。

信濃国の名族滋野氏の嫡流滋野重道の二男である道直が根津(ねつ)を名乗ったのが始まりとされ、滋野氏を出自とする諸族の中でも海野氏・望月氏と並び、滋野三家と呼ばれ平安末期より信濃国小県郡から上野国吾妻郡一帯まで広大な勢力を誇った。

とある。また現在の長野県岡谷市、諏訪市、茅野市付近を領地としていた諏訪氏とも婚姻関係を結び、その結びつきは強かったとされる。
ちなみに諏訪氏は諏訪大社の大祝(おおほうり)として、その血筋は「神氏」であり、諏訪社を保守する役割を代々になってきた。
(大祝は神職の階級である)

室町期当時の根津氏は小県郡の上記部分を中心に、支族を配した佐久群春日一帯や、更級郡の一部、また本領から北の地蔵峠を越えた上野国吾妻郡にまで影響を及ぼしていたことがわかり、また南北朝期での武蔵野合戦や桔梗が原合戦における副将や『太平記』での活躍、大塔合戦での総大将などからも、当時は事実上、滋野三家の中で軍事上は中核を担っていたものと思われる。

禰津氏は滋野三家の中でも武勇に優れており、軍事面では結構強い武将を排出している。

根津越後守遠光という武将は1436年に守護の小笠原政康と戦い、政康に支城である芝生田城別府城を落城させられた。
その後は守護小笠原氏に従属し、1440年の結城合戦では配下の実田(真田氏か)源太、源五等の配下とともに幕府方として奮戦しました。

まあとにかく、禰津氏は室町時代でも、結構強い地侍・国人衆であったということがいろんな資料に書かれています。

アクセス
  • しなの鉄道滋野駅から徒歩40分程度。

なだらかな坂道を登り、丘陵となっているところを登ると
ちなみにGoogleMapアプリのナビ通りに行くと、傾斜30度はあろうかという山を登らなければならなくなる。筆者は実際その罠にハマって、何もない雑木林の山を登山した。登山ブーツを履いていてよかった。

禰津支城跡の、遺構画像を撮った帰りに気づいたのだが、実際には登山道が用意されているためそこから行けばスムーズに城跡までたどり着くことができる。

禰津支城跡への登山道入り口
GoogleMapのナビだとこの手前で左折するように指示されますが、ここから登ったほうがスムーズに城跡に登ることができます。

また、時間ができたらできるだけ詳細に調べてここに追記していこうと思います。
以上、禰津支城跡に登ってみたブログでした。

参考資料


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