【長野県】佐久・上田・小県を一望できる城 信濃・外山城跡【東御市】

今回はずっと気になっていた千曲川の断崖に位置する城跡、外山城(とやまじょう)跡を訪れました。
この日は一日に2つの城跡(この外山城と楽厳寺城)と、布引観音を巡ることができました。


あの河岸段丘の上にある外山城
あの河岸段丘の上にある外山城

佐久・上田・小県を一望!!外山城跡

GoogleMapで「城跡」と検索すると出てきたこの城、どうやら千曲川の断崖絶壁な河岸段丘の上にあるようだ・・・とずっと気になっていました。
断崖を攻め上るにはそれ相当な作戦が必要。そしてこの城は武田家滅亡後の天正壬午の乱で活用されたようだ。だから気になっていました。

信濃・外山城跡の本郭からの眺め
外山城跡の本郭からの眺め

この城は本当に断崖絶壁の上に建っていました。そこから眺める景色の見事さ!
確かに北、東、西と目を配れる場所に位置しています。そして断崖絶壁の河岸段丘地帯にあったとされ、北側からだと攻めるに難しそうです。
ここに旗印なんか立てていたら立派に目立ったことでしょう。

信濃・外山城跡の史跡案内板
このあたりにしては珍しく史跡の解説板があった

解説板いわく

この城跡は烽火(のろし)台を中心に本郭(ほんかく)と二の郭(にのくるわ)・堀切からなっている。烽火台は高さ約7m、周囲約20m、本郭は東西18m、南北約90mの規模である。
伝承によれば、天文年間(1532~1555年)武田信玄・上杉謙信戦斗の際築いたといわれているが、あるいはそれより早く、文明年間(1469~1486年)、村上氏の佐久進出の頃に築かれたと見るのが妥当であろう。
天文十年(1543年)、武田・諏訪・村上氏三氏の連合軍によって海野(うんの)氏の攻略を図った海野平(うんのだいら)の合戦、天文十七年(1548年)、天文十九年(1550年)の二回にわたった武田氏の村上攻め等、本城跡から一望できる佐久・上田・小県の地域は戦国期に残る戦乱の舞台であった。
本城跡は当時これらの軍事的な情報・連絡の重要な拠点として活用された地であった。
武田氏滅亡後は依田信蕃の臣、依田十良左衛門がここを守ったといわれている。

東御市教育委員会

この解説板に出てくる依田信蕃(よだのぶしげ)さんは、僕の好きな「武田勝頼 全三冊(作:新田次郎)」でも目覚ましい活躍をする。
依田信蕃さんは織田信長による甲州征伐の際、最後の最後まで抵抗した信義の深い武将であり、智将である。
その家臣である、依田十良左衛門がここの守将となったが、この人はまだWikipedia等には現れない。

↑私は武田勝頼が大好きなのですが、これ非常に面白いです。依田信蕃に関しても田中城の撤退戦など、面白く書かれているのでおすすめ。

入り口

外山城跡への入り口、案内があるのでそれを目印に
外山城跡への入り口、案内があるのでそれを目印に

この入口から200mほど行くと、外山城跡へたどり着く。
途中は農道で、両側を畑に挟まれていてなおかつ狭いので注意。

トイレ・駐車場がある

外山城の南側の駐車場とトイレ
外山城の南側の駐車場とトイレ

最初の入り口から200mほど行くとトイレと案内板、駐車場があります。
この上から下ってくると城内です。

烽火(のろし)台??見張り台??枡形の小山

外山城跡に残る見張り台かのろし台と思われる丸型の小山
見張り台かのろし台と思われる丸型の小山

見張り台、または、これが解説板にあった烽火台かな?手前に堀切があります。この構造物が一番目立ちます。

城の南側からの防衛のためでしょうか。
それにしてもここに登るにはハイカットのアウトドアブーツの方が良いでしょう。写真で見るとしょぼく感じますが、実際見てみると迫力があり、傾斜も30度ほどあるので堀切に滑り落ちないように!!

木橋を渡ると解説板にあった本郭か二の丸らしき遺構に出くわす。
南側が駐車場なのだが、上から矢弾を射掛けられれば簡単に城内に被弾してしまいそうな気もする・・・。

方位板がある

外山城内にあった周囲の解説石版
外山城内にあった周囲の解説石版

この石版を見ると、信濃の国の城跡の多さに感動する。やはり戦国時代に武田氏、村上氏、諏訪氏、上杉謙信ら名だたる武将や大名・豪族がいかに信濃の国で争ったかが伺える。近くには望月城、小諸城、祢津城、矢立城、布引城、etc…遠くは越後(新潟県)の春日山城、甲斐(山梨県)の躑躅ヶ崎館、etc…と。
近くの城であればこの外山城からは一望できたはずだ。ゆえに、見張りの城として機能し、何か変事があればのろしを上げて周囲の豪族らに知らせていたのかもしれない。


その他

外山城跡、フェンス際から城内を見渡す
外山城跡、フェンス際から城内を見渡す

断崖からの平場。ここが本郭か?二の丸なのか?見た目の広さから推察すると人数で言えば300~500人程度が籠もれれば満杯になりそう。

珍しく東御市の史跡として案内塔がある城跡
珍しく東御市の史跡として案内塔がある城跡

この土地は私有地化されていないのか、東御市が管理しているのか分からないが他の近くの城跡にはない東御市の塔がある。

気になる窪み
気になる窪み。ここが狼煙を焚く所だったのでは・・・?

少しくぼんだ所がある。明らかに何かあった証拠。ここが狼煙を焚くところだったんじゃないか?それとも城館の構造物でもあったのだろうか。
と、考えさせられるポイント。

外山城跡、東屋の隣にある岩
外山城跡、東屋の隣にある岩

なにか神社にある狛犬の石像の壊れたものが置いてある。謎。石を見るに、最近置かれたものじゃないかと思います。
東屋がありますが、ハチに注意してください。

とにかく景色がすごい外山城

外山城から小諸方面を望む
外山城から小諸方面を望む

この城の印象はなんと言っても絶壁からの景色の良さです。初夏なので葉が生い茂って少し見みづらいですが、冬場なら遠くまでキレイに見渡せるはず。

城郭図(余湖のホームページより)

外山城の城郭図 余湖様より
外山城の城郭図 余湖くんのホームページより引用させていただきました

この城の名前で検索をかけたら出てきた城郭図と考察ページ。
かなりガチの歴史考察家と思われる余湖(よご)様、解説と考察がすごい。城郭図もご自身で描かれている様子。せっかくなので引用させていただきました。
(問題ありましたらご連絡ください)
この人は雑誌などでも記事を取り上げられているらしい。すごい。

以上、信濃・外山城跡に行ってみたブログでした。次回は布引観音か、楽厳寺城跡について書いてみたいと思います。

地図

参考資料

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