【長野県】奪い合いの歴史を持つ断崖絶壁の城 信濃・田口城跡【佐久市】

田口城跡の物見台?史跡
田口城跡の物見台?とりあえず登る

先日、某先輩に案内されて新海三社神社を訪れました。この新海三社神社の歴史はかなり古く、中世以降の建築物が残されていたり、古墳があったりと、かなりのパワースポット感がありました。先輩曰く、映画「君の名は」で登場する舞台がこの新海神社にあり、聖地巡りの一環として紹介してもらいました。
その新海三社神社の駐車場脇にあった堀切らしき構造物に目をつけ、GoogleMapで「城跡」と検索すると、見事そこには「田口城」という城があったらしい。

新海三社神社の記事は別で書くとして、また攻城戦をしてきたので紹介します。田口城。


奪い合いの城・田口城

信濃・田口城跡

この画像の左側の盛り上がりが多分、信濃・田口城跡

標高881mの山城で、比高150m。
田口城はその昔、この地の豪族であった田口氏によって築かれたとされています。
田口氏についてはよくわかっていないのですが、下記の記事を参考にすると、この佐久の南側を根拠地とする強力な豪族であったようです。
(なのでこの辺には田口性が多いらしい)

吉沢川と雨川に挟まれた山の頂部にあります。
なお、山上には多数の郭が配置されている巨大な山城で、田ノ口城とも呼ばれます。

大塔物語では、田口氏の記述があるようです。
諏訪御符礼之古書では、1460年に「左頭、田口民部少輔長秘、御符之礼五貫八百文」とあり、1467年には「加頭下増、田口長経、御符礼一貫八百文末代まで如此可出由目安上候、頭役拾貫」との記載も見受けられます。
また、1482年には「明年御射山加頭田口民部少輔長綱」ともあり、上宮寺の梵鐘には「1543年11月、旦那田口左近将監長能」の刻銘もあるそうです。

信濃・田口城~佐久の重要拠点でもあった大規模な山城 | 城旅人500より

上宮寺、確かに近くにありましたが、時間がなくて寄れませんでした。次回は行って確かめたい。

更にネットで調べてみると・・・

『妙法寺記』には「天文17年・・・・8月18日に佐久郡田ノ口と申し候要害へ、小山田出羽守を大将として、御働き候。去る程に信州人数、甲州衆を籠の内の鳥の様に取り籠め申し候を、色々調義成され候て、来る9月12日、御上意御馬を出させ申し候て、合力に成され佐久郡大将を悉く打ち殺す。去る程に討ち取るその数5000計り、。男女の生け取り数を知らず」といった記事が見られる。

余湖くんのホームページより

なかなか壮絶な戦いの歴史があるようです。


奪い合いの歴史

天文年間(1532年~1555年)に武田晴信(後の信玄)が佐久侵攻の際にこの田口城を攻略。城主であった田口長能(たぐち ながよし)は、恐らく村上義清を頼って落ち延びる。

しかし、天文17年(1548年)に上田原の戦いで武田晴信が村上義清に敗れると、その敗報に呼応して小笠原長時が勢力を伸ばし、それに乗じて田口長能が田口城を奪還

田口長能さんがこのまま城を保守し続けるかと思いきや、塩尻峠の戦いで小笠原長時が武田晴信に敗れ、武田晴信の家臣である小山田信有(おやまだ のぶあり)によって再度陥落

その時、田口長能(田口左近将監長能 たぐち さこんのしょうかん ながよし)は討ち取られてしまいます。

そして、先に武田家に臣従していた相木能登守(依田能登守、とも)が田口城主になります(2007年 大河ドラマ「風林火山」に出てくる相木一兵衛??)。

その20年後、武田家が滅亡して、織田信長が本能寺の変にて倒れて天正壬午の乱が勃発。北条氏直 vs 徳川家康の領地争いの混乱の最中、
徳川家康に拾われていた旧武田家の家臣・依田信蕃(よだ のぶしげ)が、田口城を攻略

かつての武田家家臣団であった相木氏は関東の後北条氏を頼って落ち延びた・・・。

このように、少なくとも4回陥落。
元の城主田口氏を始めとして武田氏、小笠原氏、小山田氏、北条氏、徳川氏、依田氏などがこぞって奪い合うという歴史があったようです。

ちなみに上述の依田信蕃は外山城の記事でも紹介しています。武田軍団の中で最後まで織田家・徳川家に抵抗した強者です。

いざ、攻城!!

それでは、実際に田口城に攻め込む足軽兵の気分になって攻めこんでみようと思います。
(※画像多いです)

新海三社神社の脇から田口城に攻め込んでみる

新海三社神社の脇から田口城に攻め込んでみる

脇道には虎口のような堀の跡っぽいものがある。途中までは人によって啓開された登山ルートっぽい道が続く。

田口城跡に残る石塁

いくつか人為的に組まれた石塁がある

石塁がいくつかあります。いつの時代のものかは分かりませんが、城の気配を感じます。

田口城攻城中、倒木に阻まれた道

攻城中、倒木に阻まれた道

この倒木を突破してどんどん登っていきます。
すると、上の方に大きな石の塊がいくつも連なっているのが目に入ってきます。

田口城跡

天然の要害を利用したのか?この上を更に上る

この辺に来るともう人によって開かれた道はなく、獣道を伝っていきます。野生のシカが何頭かいました!!動きが早すぎて画像取れず。
傾斜30度を超える道を自力で、ヒーコラと登ります。

ここ端折りますが、かなりキツい岩肌を登ります。滑落に注意してください。落ちれば多分死にます。

田口城跡の物見台?

田口城跡の物見台?とりあえず登る

おー!!すごい、なんかよく見えそう!!
と思って登りましたが、かなり危険な行為なので気をつけてください。

田口城跡の岩場に登る

正に断崖絶壁。玉ヒュンです

ここによじ登るのはかなり危なかったです。あまり真似をしないように。
ただ、景色は素晴らしいです。

田口城より田口峠方面

田口城より田口峠方面

田口城より、佐久、小諸方面

田口城より、佐久、小諸方面

なるほど、ここが戦略上重要な拠点であることが分かります。田口峠を超えれば上州(群馬県)へ、逆方面は佐久平を一望できる。
この拠点を武将たちが奪い合った理由もうなずける。

そして、この眺めのいい岩からまだこの上があります。また汗だくになりながら、休み休み登っていきます。

田口城

すごい天然の断崖があった。

田口城跡
もしもし誰かいますかー。クマでも潜んでいそうで怖かったが、雨は凌げそう。ここに座っていればお山の大将感出そう。

田口城、まだ上がある

田口城、まだ上がある

まだ上があるのか!!ヒー!!と思いながら、山梨育ちの甲州魂で登る。

田口城の本丸か?

田口城の本丸か?登りきると平な台地に出る

田口城らしき跡にある山標

ここがGoogleMapで示されたところだと思われる。

その向こうには、、、

田口城跡

花の咲く台地がある。

その花咲く地帯には無数の穴がありました。

何が住んでいるのか分からないので気になる

なんの生物の巣穴だろう・・・?と思いました。
クマではなさそうですが・・・。

更に更に奥へ行くと・・・

田口城の堀切。

田口城のものと思われる堀切。結構大規模。

わーお、と思うくらいの堀切があります。画像で見るとしょぼいですが、実際見ると結構大規模です。
そして何頭かシカが走っていきました。シカの糞がそこかしこにあります。
さて、攻略したので帰ろう。

田口城跡からの帰り

田口城跡からの帰り。


苔が時の流れを思わせます。

降りは降りで結構危険でした。落石もあったので気をつけるべし。
足軽兵が登って攻めるには、それはそれは相当体力を削りながら登ったのではないでしょうか。

攻城してみた感想

  • 今まで見て回った城の中で一番攻めづらい
  • 断崖をよじ登る体力が必要
  • 一人では危ない
  • こんなところよく攻略できたな・・・。

登るにはそれなりの体力と根気が必要です。スズメバチ、クマの出没にも要注意。
でも、楽しかったです!!


地図

地図見て思ったけど、新海神社からじゃなくて、裏の方の道からだともっとスムーズに行けたのでは・・・。

これによれば、もっとちゃんとした正規のルートがあったようです。
恐らく攻めるとすれば新海三社神社からではなく、裏から攻め込むか、余湖様の解説通りが良いでしょう。。。

そういえば、【長野県】禰津支城跡(ねつしじょうあと)【東御市】でも同じ失敗をしましたね。

新海三社神社については、また別途記事を書ければと思います!

参考資料

コメント

タイトルとURLをコピーしました